1990
- 1995年3 月15 日
米国ロッキード社とマーチンマリエッタ社が正式に合併,ロッキード・マーチン社(LM)が発足
- 1995年3 月18 日
宇宙開発事業団,H-Ⅱロケット3号機を打ち上げ,宇宙実験の観測フリーフライヤ (SFU)と気象衛星5号(GMS-5)「ひまわり5号」をそれぞれの軌道に投入
- 1995年3 月20 日
東京でオウム心理教による地下鉄サリン事件発生。死亡11人,重軽傷者約5,000人
- 1995年3 月22 日
ロシア宇宙ステーション「ミール」からの3名を乗せて「ソユーズTM21」が帰還。そのひとり,Y.ポリヤコフ,437日17時間58分「ミール」に滞在した連続宇宙滞在の新記録を樹立
- 1995年4 月1 日
マクドネル・ダグラス社のMD90,デルタ航空が路線に初投入
- 1995年4 月3 日
日本オーナーパイロット協会(AOPAJ),東京でIAOPA第17回世界大会を開催
- 1995年4 月3 日
米オービタルサイエンス社(USC),同社のロッキードL-1011を母機として「ペガサス」ロケットを空中発射し,「オーブコム1号,2号」と「マイクロラブ1号」の小型3衛星を円軌道投入に成功
- 1995年4 月4 日
運輸省,ウエットリース・共同運送要件の緩和を通達
- 1995年4 月5 日
イスラエル,ニジェフ射場から「シャビット」ロケットでリモートセンシングテスト衛星「オ フェク3号」を打ち上げ
- 1995年4 月8 日
高知県,平成8年度に導入する防災ヘリの自主運航を決定,全国の都道府県で初めての自主運航
- 1995年4 月9 日
統一地方選で無党派知事が誕生。青島幸男東京都知事,横山ノック大阪府知事
- 1995年4 月10 日
兵庫県,阪神大震災時の稼働実績90時間強になるチャーターヘリについてチャーター料9,400万円支払い。震災時に政府の要請を受けて災害援助物資を輸送したのは朝日航洋,東邦航空,中日本航空,エースヘリコプターの4社
- 1995年4 月10 日
防衛庁,FS-Xに関する日米間の量産覚書(MOU)の検討開始
- 1995年4 月10 日
防衛庁第3研究所,FS-Xの静強度試験の本格開始を決定
- 1995年4 月13 日
日本航空人事,近藤晃社長就任を内定
- 1995年4 月13 日
エアーニッポン,B737-500型の1号機を受領
- 1995年4 月14 日
B777,米FAAと欧州合同航空局(JAA)の両機関から同時に型式証明を取得
- 1995年4 月15 日
自衛隊の1994年度における災害派遣航空機のべ数 9,022機のうち,阪神大震災関連 派遣がのべ数 7,250機を占めた
- 1995年4 月19 日
川田工業,東京消防庁消防官のヘリコプター訓練を受託
- 1995年4 月19 日
東京外為市場で1ドル79円75銭の最高値を記録
- 1995年4 月20 日
フィンランド航空,関西~ヘルシンキ線を開設
- 1995年4 月25 日
日本航空,「将来航空航法システム(FANS)」の装備を決定。ニューヨーク線,サンフランシスコ線など,北太平洋ルートに就航しているB747-400型4機に日本初の装備
- 1995年5 月6 日
日本航空とアメリカン航空は,コンピューター・リザベーション・システム(CRS)の「アクセス」と「セーバー」において予約・発券で提携
- 1995年5 月7 日
運輸省,災害時に民間ヘリが活用できるよう,全日本航空事業連合会の要望を受けて危機管理マニュアルの検討開始。災害時の場外離発着手続きの簡素化など
- 1995年5 月8 日
航空各社,事前購入割引運賃を導入
- 1995年5 月8 日
運輸省,定期航空会社への中国路線増便および新規路線の配分決定。先の日中航 空協議合意に基づくもの
- 1995年5 月10 日
日本航空,名古屋~沖縄線,名古屋~山形線を運航開始
- 1995年5 月16 日
エアシステム人事,舩曳寛眞社長就任を内定
- 1995年5 月17 日
ボーイング社,B777初号機をユナイテッド航空へ引渡し
- 1995年5 月20 日
ロシア,科学実験モジュール「スペクトル」(19.64トン)を打ち上げ,6.1に「ミール」と結合
- 1995年5 月22 日
日本航空,インターネットでのマイレージサービス会員を募集を発表
- 1995年5 月30 日
米FAA,ブラット・アンド・ホイットニー社製エンジン搭載のB777に180分ETOPS(長距離洋上運航)認可
- 1995年5 月31 日
全日空のマリンジャンボ,札幌発羽田行き62便で最終フライト
- 1995年6 月1 日
全日空,庄内~札幌,関西~稚内路線を運航開始
- 1995年6 月2 日
エアシステム,福岡~女満別線を運航開始
- 1995年6 月3 日
日米航空交渉非公式会議,5月から開催されていたが,大臣間の話合いもの分かれ
- 1995年6 月6 日
第111航空隊所属のMH-53E型掃海ヘリコプター海上に墜落,水没
- 1995年6 月13 日
大手航空機リース会社のILFC,インターナショナル・エアロ・エンジンズ社 (IAE)製のV2500を大量発注
- 1995年6 月16 日
エアーニッポンのB737-500型(愛称スーパードルフィン)初号機が日本到着
- 1995年6 月19 日
米運輸省,日米航空問題で日本側がフェデラル・エクスプレスの日本経由貨物便の以遠権申請を留保していることに対する制裁措置を発表
- 1995年6 月21 日
全日空857 便羽田発函館行きでハイジャック事件発生。機体は函館空港に着陸,翌日未明機内に突入した警官隊が犯人逮捕
- 1995年6 月26 日
ボーイング社,B777-300 製造を正式決定。4社から合計31機の大量発注を得たため
- 1995年6 月27 日
米スペースシャトル「アトランティス」,第1回シャトル・ミール・ミッション(SMM-1)として 打ち上げ。6.29「ミール」とドッキングして,4日21時間10分周回飛行続行。7.4 分離。7.7 米N.サガード (3.14から「ミール」に滞在)を乗せて帰還 (STS-71;9日19時間23分)
- 1995年6 月30 日
日本エアコミューター,奄美路線の機材をSAAB340B型機に変更発表。同社のDo- 228型機3機はすべて退役予定
- 1995年7 月1 日
全日空,「いつでもどこでもチェックインサービス」のフレーズでエニータイム(anytime)チェックイン・サービスを開始
- 1995年7 月5 日
日米航空交渉次官級協議,ワシントンで開催。日本側は日本企業が受けている運航制限の大幅な緩和を米側に要求
- 1995年7 月6 日
朝日航洋,マクドネル・ダグラス社エクスプローラーヘリコプターの1号機を受領
- 1995年7 月8 日
アリアンスペース社,アリアン40型ロケットで,仏・伊・スペイン共同開発の偵察衛星「ヘリオス1A」を打ち上げ
- 1995年7 月13 日
日米航空交渉次官級協議,東京で再開。合意点は見出されず。日本側から次官級協議の継続と閣僚級会議の開催を申入れ。米側は持ちかえり
- 1995年7 月13 日
木星を目指して飛行中の惑星探査機米NASA「ガリレオ」,小型の観測機を切り離して 木星に向け放出。「ガリレオ」は木星を周回,観測機は大気圏突入し,木星の組成などを観測
- 1995年7 月20 日
日米航空交渉次官級協議・閣僚級協議,ロサンゼルスで開催。日本側はフェデラル・エクスプレスが以遠権を行使した新規路線,米側はシカゴ経由カナダ以遠権を認める,最終的に合意。
- 1995年7 月21 日
全日空,関西~上海線,関西~バンコク~クアラルンプール線を運航開始
- 1995年7 月21 日
エアーニッポン,B737-500型機路線に投入,初便は福岡初鹿児島行きの761便
- 1995年7 月21 日
航空宇宙技術研究所,大型極超音速風洞(マッハ10,測定部直径/123cm)完成
- 1995年7 月22 日
日本航空,福島~帯広線を運航開始
- 1995年7 月28 日
成田空港問題で元三里塚・芝山連合空港反対同盟小川派代表兄弟,国・公団と和解
- 1995年7 月28 日
防衛庁,U-125A救難捜索機に部隊使用承認
- 1995年7 月28 日
ベトナム,東南アジア諸国会議(ASEAN)に正式加盟
- 1995年7 月31 日
欧州宇宙機関(ESA)の太陽探査機「ユリシーズ」,太陽の最北緯度80.2度上空に到達
- 1995年8 月2 日
米ロックウェル・インターナショナル社とロッキード・マーチン社,新会社「ユナイテッド・スペース・アライアンス(USA)」を設立
- 1995年8 月12 日
全日空,国内・国際線で1日あたりの搭乗旅客数過去最高を記録。国内線の搭乗者数146,298人,国際線では8,629人
- 1995年8 月12 日
日本航空,国内線全線の1日あたりの搭乗旅客数78,398人で過去最高を記録
- 1995年8 月12 日
エアシステム,国内線1日あたりの搭乗旅客数67,176人で過去最高を記録
- 1995年8 月16 日
コンコルドが世界一周最短記録。31時間27分49秒で記録更新
- 1995年8 月16 日
米FAAが,日本航空に米国籍航空機の整備禁止措置。日本航空は保有する米国籍機について整備業務に支障を来す
- 1995年8 月18 日
エンブラエルEMB-145がロールアウト
- 1995年8 月20 日
日本航空,国際線全線の搭乗旅客数40,118人で新記録を達成
- 1995年8 月21 日
日本航空 B737-400型機の総称を「フラワージェット」と決定,機体に花の名前を塗装
- 1995年8 月22 日
中国・上海でMD-90の生産開始
- 1995年8 月24 日
航空審議会が第7次空港整備五箇年計画の中間報告を発表。事業規模3兆490億円。関西国際空港の二期工事,中部新国際空港,首都圏第三空港を新プロジェクトと位置づけ
- 1995年8 月24 日
A319がロールアウト,翌日に初飛行
- 1995年8 月25 日
宇宙開発事業団,TR-IA型ロケット「たけさき」4号機を打ち上げ,無重力材料実験に成功
- 1995年8 月25 日
宇宙開発事業団,5人目の宇宙飛行士(第3期)を募集。10.10 締切り(572名応募)
- 1995年8 月25 日
第19回模型航空機F3Aラジオコントロール・曲技世界選手権, 第6回模型航空機F3Cラジオコントロール・ヘリコプター世界選手権岡山県笠岡市の笠岡農道離着陸場にて開催(~9.3)(F3A)世界26の国と地域 選手76名参加(F3C)世界19の国と地域 選手49名参加
- 1995年8 月26 日
Tu334がロールアウト。100席クラスの双発ジェット旅客機
- 1995年8 月29 日
日本サテライトシステムズ(JSAT)の通信衛星「JCSAT-3」,アトラスISAロケットで打ち上げ
日本電信電話とNTT移動通信が使用する「Nスター1号」衛星,アリアン44L型ロケットで打ち上げ - 1995年9 月1 日
シティ・エアリンクが解散へ。1988年6月に運航を開始し,91年11月から運休中
- 1995年9 月1 日
日本航空 B737-400の1号機 「コスモス」,鹿児島~名古屋線,鹿児島~関空線に就航
- 1995年9 月12 日
全日空,B777-300型機正式契約。確定発注は10機,購入総額は約1,300億円
- 1995年9 月14 日
熊本空港で,わが国初の「ILS(計器着陸装置)カテゴリーⅢa」の運用開始
- 1995年9 月14 日
リアジェット45がロールアウト。8~10人乗りビジネス・ジェット機
- 1995年9 月17 日
宇宙科学研究所,S-520型ロケット20号機を打ち上げ失敗
- 1995年9 月22 日
ガルフストリームVがロールアウト。航続距離約12,000kmで世界初のグローバル・ビジネスジェット機
- 1995年9 月25 日
運輸省,国内航空運賃の幅運賃制度を発表
- 1995年9 月26 日
日米航空交渉,東京で開催。日本側主張の「機会均等」は米側の理解得られず平行線
ユナイテッド航空は,日本側が関西~ソウル線開設を認可しない対抗手段として,日本航空の仙台~ホノルル線の暫定運航免許差止めを米運輸省に提出 - 1995年9 月28 日
日本アジア航空,創立20周年の記念行事として特別デザイン機発表。 台湾の小学生によるデザイン塗装のジャンボ機
- 1995年9 月30 日
米NASA「パイオニア11号」,太陽系を22年間飛行中の後,交信を終了
- 1995年10 月
釧路空港で,9月14日からの熊本空港に次いでILS(計器着陸装置)カテゴリーⅢaの運用開始
- 1995年10 月1 日
エアシステム,インターネットでの旅客情報サービスを開始
- 1995年10 月2 日
エアシステム,関西~広州線を運航開始
- 1995年10 月6 日
国際民間航空機関(ICAO)第31回総会で,1996年7月から国際線旅客機の全面禁煙化に各国が努力していくことを確認
- 1995年10 月7 日
三菱重工,FS-X欠期支援戦闘機の試作1号機の初飛行に成功
- 1995年10 月12 日
日本航空は,ユナイテッド航空が日本航空の仙台~ホノルル線運航に異議申立てをしていることに対して,米運輸省に反対意見書提出
- 1995年10 月13 日
米運輸省は,日本航空の仙台~ホノルル線を期間短縮で認可
- 1995年10 月19 日
防衛庁,米空軍省とC-130H輸送機1機を40億円で契約締結
- 1995年10 月19 日
防衛庁,MH-53E 掃海ヘリの事故調査結果発表
- 1995年10 月27 日
国際航空運送協会(IATA),航空機事故による補償限度額の撤廃を方針化
- 1995年10 月31 日
日本航空,B777-300型機5機導入を決定
- 1995年11 月1 日
全日空のB777-200型機初号機,羽田空港に到着
- 1995年11 月1 日
新食法スタート。米の生産・流通・販売は原則自由