1960
- 1966年2 月14 日
全日空、知多半島上空で消息を絶った(1966.2.14)DC3貨物機の「失踪」宣言
- 1966年2 月16 日
BAC111、東京国際空港に初飛来
- 1966年2 月16 日
ホンダ・フライングクラブ、わが国初のエア・ラリーを開催
- 1966年2 月17 日
アエロフロート航空Tu114、モスクワ・シエレメチェが空港で離陸に失敗、24人死亡
- 1966年2 月22 日
長崎航空の大村~壱岐~対馬不定期線認可
- 1966年2 月24 日
米FAA、B727事故4件(含・全日空機)の関連性を否定
- 1966年2 月26 日
日大工学部学生による人力飛行機「リネット」、調布空港で高度50cm、距離10mの初飛行(2.27公開飛行、高度1m、距離20m、飛行時間3秒)
- 1966年2 月28 日
三宅島空港開港
- 1966年3 月
気象庁気象研究所、自動受画装置(APT)を設置し、雲の分布写真の受画を開始
- 1966年3 月
海上保安庁、国土地理院、東京天文台の3者共同で米側地衛星を利用して、奄美大島の測地観測
- 1966年3 月2 日
名古屋空港国際線第1便、日本航空の台北行特別便が出発
- 1966年3 月2 日
運輸省、富士重工業のFA200に型式証明交付
- 1966年3 月4 日
カナダ太平洋航空のDC8、濃霧のため東京国際空港に着陸失敗・炎上、乗客乗員64人死亡
- 1966年3 月4 日
全日空、東京~三宅島を運航開始
- 1966年3 月5 日
東京発香港行英国海外航空のB707、富士山付近で空中分解し墜落、邦人13人含む乗客乗員124人全員死亡
- 1966年3 月5 日
佐藤首相、運輸省に対し、(1)新東京国際空港の促進、(2) 東京国際、大阪国際、福岡、千歳4空港の整備・拡大、(3)航空業務、航空管制整備促進などを指示。
- 1966年3 月5 日
東大宇宙航空研究所、内之浦よりラムダ(L)3H型ロケット1号機を打上げ (バンアレン帯の観測など)
- 1966年3 月6 日
英国海外航空機の事故原因調査のため、J・ガスリーBOAC会長ら19人の調査団来日
- 1966年3 月7 日
運輸省、カナダ太平洋航空機(1966.3.4)と英国海外航空機 (1966.3.5)の事故原因究明そのため「事故技術調査団」 団長 守屋富次郎東大名誉教授)を設置
- 1966年3 月7 日
日本航空、政府にニューヨーク経由世界一周線を開設を申請
- 1966年3 月10 日
キャセイパシフィック航空、香港~大阪~名古屋線を運航開始
- 1966年3 月11 日
日本航空のアムステルダム線など3路線を許可
- 1966年3 月11 日
カナダ・パシフィックウエスタン航空の旅客機がプリンスルパートに墜落、6人死亡
- 1966年3 月14 日
DC8-61初飛行
- 1966年3 月16 日
米NASA、2人乗り有人船「ジェミニ8号S(3.79トン)を打上げ、同日打上げたアジェーナロケットと初のドッキングに成功したが、姿勢制御用スラスター故障のため、3.17 緊急着水(アームストロングとスコット2名は無事)
- 1966年3 月18 日
毎日新聞社、三菱重工業とMU2B1号機の購入契約(国内販売第1号)
- 1966年3 月18 日
アラブ連合シズルエアのAn24B、カイロ空港着陸寸前に墜落、乗客乗員30人死亡
- 1966年3 月20 日
カラーテレビ放送の全国中継網が完成
- 1966年3 月22 日
日本航空、米CABに対しニューヨーク線および以遠権などを申請
- 1966年3 月23 日
南紀白浜空港の設置許可(4.1 供用開始)
- 1966年3 月30 日
大阪国際空港滑走路整備工事、難航している用地買収問題で土地収用法の適用決 まる
- 1966年3 月31 日
木村秀政全日空機事故調査団長、衆議院特別委員会で「操縦ミスの感が強い」と発表
- 1966年3 月31 日
日本の人口、1億人を突破
- 1966年3 月31 日
ソ連、「ルナ10号」(1.6トン)を打上げ。4.3に初の月の孫衛星となる
- 1966年4 月
NHK、放送衛星の基礎研究を開始
- 1966年4 月1 日
札幌、東京、福岡の3航空交通管制本部制発足
- 1966年4 月1 日
宇部、出雲、福井の3空港開港
- 1966年4 月1 日
行政管理庁、相次ぐ航空事故で気象行政監察の実施を決める
- 1966年4 月1 日
メートル法完全実施
- 1966年4 月2 日
日本航空、北極経由のアムステルダム線を運航開始
- 1966年4 月2 日
日本国内航空導入のB727第1号機「天女」、東京国際空港に到着
- 1966年4 月4 日
中村運輸相、悪気象の山岳上空飛行制限強化の検討を指示
- 1966年4 月6 日
東京航空保安事務所、国際線17社に対し19時以降の夜間臨時便発着禁止を通達
- 1966年4 月9 日
カナダ太平洋航空機事故(1966.3.4)以来閉鎖の、東京国際空港C滑走路使用を全面解除
- 1966年4 月10 日
ジェリー・モック(米、女性パイロット)、ホノルル~コロンバス間7、320kmを31時間ノンストップ飛行、女性長距離記録達成
- 1966年4 月13 日
東京飛行クラブの加藤千佳、N-62単発機で訪飛行(戦後初の女性海外飛行)
- 1966年4 月15 日
中村運輸相、石坂 植村経団連正・副会長に、(1)日本航空と日本国内航空の運営強調化、(2)全日空を含めて国内幹線の運営一体化、(3)航空機の整備、乗員養成は3社が一体化一を内容をする運輸相案を提示
- 1966年4 月20 日
日本飛行クラブ連合会結成
- 1966年4 月20 日
東京航空計器、東京国際空港内に地上飛行訓練所を開設
- 1966年4 月20 日
日産自動車とプリンス自動車、合併調印
- 1966年4 月21 日
日本学生航空連盟妻沼訓練所オープン
- 1966年4 月22 日
アメリカンフライヤーズ航空のエクストラ機、オクラホマ州アードモア空港着陸寸前墜落、乗客乗員81人死亡
- 1966年4 月23 日
東京・代々木公園でわが国航空の先覚者、日野熊蔵像除幕式
- 1966年4 月25 日
航空技術安全委員会(ATASC)発足
- 1966年4 月26 日
長崎航空、全日空に合併を申し入れ
- 1966年4 月27 日
LANSAベルー航空のコンステレーションがアンデス山脈に墜落、乗客乗員49人全員死亡
- 1966年4 月29 日
植村経団連副会長、(1)国際・国内線企業数は数年先に決定、(2)日本航空と日本国内航空が一体化を進める、(3)日本航空と全日空は、協調体制を確立する一を内容とした航空業界編成に関する意見書を佐藤首相に提出
- 1966年5 月
科学技術庁、鹿児島県種子島南東岸に種子島宇宙センターの設置を決定
- 1966年5 月5 日
三ツ矢航空フライングクラブ結成
- 1966年5 月11 日
神戸地裁、日東航空機淡路島墜落事故は、原因は機長ミスとして、機長に禁固2年、執行猶予3年の有罪判決
- 1966年5 月13 日
モントリオール協定調印(5.16 発効)
- 1966年5 月16 日
運輸省、日本航空、全日空、日本国内航空3社社長に対してフライトレコーダーの装備を要請
- 1966年5 月20 日
運輸省船舶技術研究所、衛星航法研究室を新設し、研究を開始
- 1966年5 月23 日
中村運輸相、閣議に航空業界再編問題で石坂意見書に基づく経営基盤強化策を報告、了解を得る
- 1966年5 月26 日
リアジェット24ビジネス機、65時間40分の世界一周速度記録樹立
- 1966年5 月27 日
F4E戦闘機、セントルイスで公開初飛行
- 1966年5 月29 日
中国清華大学附属中に紅衛兵登場
- 1966年5 月30 日
北海道航空㈱発足。
- 1966年5 月30 日
米NASA、「サーベイヤー1号」(269kg)を打上げ、6.2に「嵐の海」に初の月面軟着陸成功。月面写真11、150枚を7.13迄に電送
- 1966年6 月3 日
ホーカーシドレー・トライデントがテスト飛行中に墜落、乗員4人死亡
- 1966年6 月7 日
ジェットコマンダーN1966J、世界早回り記録を達成してラガーディア空港到着(6.4~)
- 1966年6 月9 日
全日空、ローカル空港運用時間の延長など13項目の要望書を運輸省に提出
- 1966年6 月12 日
ダッソー・ミラージュⅢF2、初飛行
- 1966年6 月13 日
日本国内航空臨時取締役会、合併に関する日本航空の提示条件を拒否
- 1966年6 月14 日
ILO 87号条約発
- 1966年6 月16 日
琉球政庁、日本航空と全日本航空に沖縄本島、宮古島、石垣島間航空路開設協力を申し入れ
- 1966年6 月22 日
佐藤首相、友納千葉県知事らと協議の結果、新東京国際空港は三里塚御料牧場付近に建設で意見一致
- 1966年6 月22 日
日本航空、琉球島内航空路の引受けを回答
- 1966年6 月24 日
日本航空と日本国内航空、合併覚書に調印
- 1966年6 月24 日
全日空の東京~宇部、東京~福井線、日本国内航空の札幌~旭川線免許
- 1966年6 月24 日
米NASA、バルーン型測地衛星「パジオス1号」(55kg)を打上げ(1975年から1978年にかけて徐々に破裂)
- 1966年6 月28 日
DC8-62、ロールアウト
- 1966年6 月29 日
岡崎全日空、下村東亜航空両社長、合併のための話し合い準備を運輸相に伝達
- 1966年6 月29 日
フィリピン航空のDC3、悪天候のためミンドロ島に墜落、乗客乗員27人死亡
- 1966年6 月30 日
英国のロックバンド、ザ・ビートルズが来日。武道館で公演
- 1966年6 月30 日
宇部、出雲、旭川、福井の4空港開港
- 1966年7 月1 日
定期航空会社の航空機呼び出し符号変更(登録記号からフライト便名に)
- 1966年7 月1 日
日本航空と全日空、東京~大阪線にスカイメイト制を実施(12~22歳)、1967.4.1 以後国内全線で実施
- 1966年7 月1 日
日本航空、日本国内航空の幹線運航を引受け
- 1966年7 月1 日
全日空、東京~宇部、東京~福井線を日本国内航空、札幌(丘珠)~旭川線を運航開始
- 1966年7 月4 日
政府、新東京国際空港は成田市三里塚を中心とする地区に正式決定
- 1966年7 月4 日
ニュージーランド航空のDC3、オークランド空港で訓練飛行中墜落炎上、乗員2人死亡
- 1966年7 月5 日
関西国際空港ビルディング㈱設立
- 1966年7 月6 日
石川島播磨重工、瑞穂工場に液体ロケットエンジン用ターボポンプ試験場完成
- 1966年7 月10 日
航空技術審議会「ジェット輸送機の航空安全に関する技術的問題とその具体策」につ科学技術庁長官に答申
- 1966年7 月11 日
東亜航空、大阪~出雲線を運航開始
- 1966年7 月14 日
日本国内航空、大阪~宇部線を運航開始
- 1966年7 月18 日
長崎航空の福岡~壱岐定期線免許
- 1966年7 月23 日
東大宇宙航空研究所、ラムダ(L)3H型ロケット2号機を打上げ成功(高度2、000km)
- 1966年7 月25 日
壱岐空港開港