1960
- 1965年7 月24 日
日本国内航空の東京~八戸、八戸~帯広、花巻~青森線免許
- 1965年7 月26 日
東大宇宙航空研究所、カッパ9M型ロケット12号機を内之浦より打上げ(50回目)、黄道光の観測に成功(X線星の発見)
- 1965年8 月1 日
隠岐空港開港、東亜航空米子~隠岐線開設
- 1965年8 月1 日
日本航空のB727、東京~大阪~福岡線に就航
- 1965年8 月3 日
参議院運輸委員会、「使えぬ三宅島空港」を追求(9.8 実地調査)
- 1965年8 月3 日
松代群発地震発生
- 1965年8 月6 日
米空軍B57が南ベツナムニャンチャンに墜落、市民12人が死亡、76人重軽傷
- 1965年8 月7 日
東京国際空港ターミナルビル屋上に見学教材用YS11を組み立てる
- 1965年8 月8 日
札幌航空交通管制所が運用開始
- 1965年8 月10 日
第3回日米航空協定改訂交渉開始
- 1965年8 月12 日
米ワールド航空B707でニューヨーク~ホノルル間を初の直行便運航
- 1965年8 月16 日
農業散布中の西日本空輸ベル47G2型ヘリコプターが熊本県下で墜落、乗員3人死亡
- 1965年8 月20 日
富士重工業の国産軽飛行機FA200、初飛行に成功
- 1965年8 月21 日
LOTポーランド航空のバイカウント機、ベルギーのリエージュ付近に墜落、68人死亡
- 1965年8 月27 日
運輸省、新空港候補地の霞ヶ浦でボーリング調査開始
- 1965年9 月1 日
印パ戦争勃発
- 1965年9 月1 日
福岡空港にキャセイパシフィック航空乗入れ開始(同空港初の国際線寄港)
- 1965年9 月3 日
日本航空機製造、フィリピンのフェアウェイズ航空とYS11型2機の輸出契約を締結
- 1965年9 月7 日
米FAA、YS11に型式証明交付
- 1965年9 月10 日
日本航空 航空審議会の国内航空再編案に反対を表明
- 1965年9 月11 日
新空港の霞ケ浦建設に反対する漁民1、000人が漁船で湖上デモ
- 1965年9 月17 日
パンアメリカン航空 B707、カリブ海モントセラット島に墜落、乗客乗員30人死亡
- 1965年9 月18 日
三菱重工業MU2Bに型式証明交付
- 1965年9 月20 日
全日空YS11 「オリンピア」、大阪~高知、大阪~松山線に初就航
- 1965年9 月24 日
運輸審議会、日本航空貨物申請の東京~サンフランシスコ間貨物線を却下
- 1965年9 月24 日
国鉄、「みどりの窓口」開設
- 1965年9 月30 日
マクナマラ米国防長官、ロッキード社とC5A 輸送機の生産契約締結を発表
- 1965年9 月30 日
日本航空、コンコルドSST3機を仮発注
- 1965年10 月1 日
日本航空、社章を鶴丸に変更
- 1965年10 月5 日
第3種空港設置管理者会議開催
- 1965年10 月5 日
P2V-7を使った国産J-3-7型ジェットエンジンの空中テストを開始
- 1965年10 月6 日
中村運輸省、航空審議会に「わが国定期航空運送事業のあり方」について諮問
- 1965年10 月13 日
米ソ両国、宇宙開発協力を生物・医学の分野まで広げることに合意
- 1965年10 月17 日
コロンビアのアビアンカ航空DC3と小型機がブカラマンザ空港上空で空中衝突、両機の16人が死亡
- 1965年10 月19 日
三菱重工業、小牧工場でフィリピナスオリエント航空へYS11輸出第1号機の引渡し。12.25 YS11、マニラーセブ、マニラ~バグドロ線に就航
- 1965年10 月19 日
航空自衛隊千歳基地所属 F104J戦闘機、米軍T33練習機と空中接触のため墜落
- 1965年10 月21 日
野村克也 (南海)、戦後初の打撃3冠王
- 1965年10 月21 日
マニラ空港でYS11の引渡し式
- 1965年10 月21 日
朝永振一郎 ノーベル賞受賞
- 1965年10 月23 日
伊藤忠航空整備、N-62量産1号機初飛行
- 1965年10 月27 日
英国欧州航空のバンガード、ロンドン空港で着陸に失敗して炎上、乗客乗員36人全員死亡
- 1965年10 月31 日
日本航空のDC7C、路線から引退
- 1965年11 月1 日
東京航空保安事務所、東京国際空港離着陸機機長に対して騒音防止を呼びかけ
- 1965年11 月2 日
全日空、運輸省に熊本 (大村、福岡)~ 上海、鹿児島~那覇~香港、大阪~ソウル線の近距離国際線を申請
- 1965年11 月2 日
仏陸軍スポーツチームを乗せたDC3、ソマリのオボクに墜落、30人死亡
- 1965年11 月3 日
アルゼンチン空軍DHC「ビーバー」軽飛行機、単発機として初の南極点着陸に成功
- 1965年11 月4 日
米FAA、MU2Bに型式証明交付
- 1965年11 月8 日
東大宇宙航空研究所、カッパ10型ロケット1号機を内之浦より打上げ、ロケット姿勢制御成功
- 1965年11 月8 日
アメリカン航空のB727、オハイオ州シンシナティ空港付近に墜落、乗客乗員58人死亡
- 1965年11 月10 日
中国文化大革命始まる
- 1965年11 月11 日
ユナイテッド航空のB727、ソルトレークシティ空港着陸に失敗して炎上、38人死亡
- 1965年11 月13 日
13米FAA、1965年8月以来3件のB727事故に関連性はないと発表
- 1965年11 月15 日
岩田東京国際空港長、羽田周辺の工場煤煙が離着陸の妨げになると善処を要望
- 1965年11 月16 日
ソ連 「金星 (ベネラ)3号」(958kg)を打上げ、初めて金星に到達
- 1965年11 月16 日
宇宙開発推進本部、新島でST-型ロケット1号機の打ち上げに成功(11.16~11.22の間に計5機打上げ)
- 1965年11 月17 日
日本国内航空導入のノール262第1号機、大阪国際空港に到着
- 1965年11 月18 日
政府の新東京国際空港関係閣僚会議、建設予定地を千葉県富里地区に内定
- 1965年11 月18 日
千葉県富里・八街地区住民、「国際空港設置反対千葉県民会議」の設置を決める
- 1965年11 月18 日
友納千葉県知事、新空港予定地に関して「政府の決め方は一方的で納得できぬ」と語る
- 1965年11 月19 日
米FAA、CV-600に型式証明交付
- 1965年11 月19 日
政府、国債発行を決める。
- 1965年11 月22 日
英航空局と米FAA、BAC111-300/400に型式証明交付
- 1965年11 月22 日
宇宙開発推進本部、新島でLS-A型ロケット3号機の発射実験に成功
- 1965年11 月23 日
米FAA、DC9に型式証明交付
- 1965年11 月24 日
大阪国際空港で深夜・早朝(23:00~6:00)ジェット機の発着禁止
- 1965年11 月24 日
全国農林水産航空事業実施団体連絡協議会が発足
- 1965年11 月25 日
千葉県富里村議会、「新空港富里設置に絶対反対」決議案を満場一致で採択
- 1965年11 月26 日
フランス、初の人工衛星「デイアマンA-1号」(アステリックス)(42kg)をディアマンロケ ットでアフリカのハムギュイア射場で打上げ(世界3番目の衛星自力打上げ国)
- 1965年11 月29 日
新東京国際空港設置に関する千葉県・同県選出国会議員・運輸省の3者会談開催、運輸省は「地元知事との相談なしに富里内定は申し訳ない」と陳謝
- 1965年11 月29 日
宇宙開発審議会、東大宇宙航空研究所と科学技術庁宇宙開発推進本部の2本立て体制の一元化と特殊法人設立を提案
- 1965年12 月4 日
運輸省、友納千葉県知事に「新空港富里地区建設」を正式に伝達、協力を要請
- 1965年12 月4 日
イースタン航空のコンステレーションとトランスワールド航空のB707、ニューヨーク郊外上空で空中接触、不時着したコンステレーション機の乗客3人死亡
- 1965年12 月6 日
広島空港エプロンで地上試運転中の東亜航空YS11が暴走、作業中の整備員1人死亡
- 1965年12 月8 日
防衛庁、三菱重工業、石川島播磨重工業など9社とF104J戦闘機第2次分30機の生産契約締結
- 1965年12 月15 日
米NASA打上げの「ジェミニ6号」、「ジェミニ7号」(12.4打ち上げ)と米初のランデブー実験に成功
- 1965年12 月20 日
全日空、東京~高知線を運航開始
- 1965年12 月23 日
日本赤十字社、米軍からL-21型18機払い下げ受領(日赤飛行機として竜ヶ崎、札幌、仙台、大津、福岡に配備)
- 1965年12 月26 日
日本航空のDC8、サンフランシスコ空港離陸後エンジンから出火、オークランド空港に緊急着陸
- 1965年12 月27 日
航空審議会、諮問第11号「わが国定期航空運送事業のあり方」について、運輸大臣に 「日本航空は国際線に専念、国内線は全日空と日本国内航空とする」などを答申
- 1965年12 月28 日
ソ連 バイコヌール基地より「コスモス103号」(875kg)を打上げ、1965年の1年間にコスモス衛星は52基打上げられた
- 1965年12 月28 日
日米航空協定改訂交渉調印(日本航空、ニューヨーク経由世界一周線可能となる)
- 1966年1 月1 日
ガルーダ航空DC3同士がスマトラで空中衝突のため墜落、乗客乗員17人死亡
- 1966年1 月2 日
ホンダフライングクラブの高野仁平、バイパー・チェロキー機で獲得高度6、200mのC-1-Bクラス(重量500~1、000kg)高度日本記録を樹立
- 1966年1 月4 日
英国ユナイテッド航空、ロンドン~グラスゴーなど3路線にBAC111、初就航
- 1966年1 月18 日
IATA、映画・音楽などの機内サービス承認
- 1966年1 月18 日
東大宇宙航空研究所、内之浦よりMT-135型ロケット12号機打上げ
- 1966年1 月19 日
大蔵省、名古屋空港、名瀬空港の2空港を国際空港に指定
- 1966年1 月24 日
インド国際航空のB707がモンブラン山腹に衝突、乗客乗員117人全員死亡
- 1966年1 月31 日
ソ連、「ルナー9号」(1.58トン)を打上げ、2.3に「月の嵐」の大洋に初の月面軟着陸(3日間写真を電送)
- 1966年2 月2 日
フェアチャイルド・ヒラー社、FH-227がロールアウト
- 1966年2 月3 日
米、気象衛星「ESSA-1号」(138kg)を打上げ(気象衛星の実用化始まる)
- 1966年2 月4 日
札幌発東京行全日空のB727が東京湾に墜落、乗客乗員133人全員死亡(1機あたり犠牲者は航空史上最大)
- 1966年2 月4 日
ソ連が打上げた(1966.1.31)「ルナ9号」、月面への軟着陸に成功
- 1966年2 月5 日
政府、「全日空機事故調査団」(団長 木村秀政日大教授)を設置
- 1966年2 月7 日
松尾日本航空、菅野日本国内航空の両社長、石坂航空審議会会長をまじえて両社合併問題で意見交換
- 1966年2 月7 日
インド国内航空のフレンドシップ、カシミールに向かう途中消息を絶つ
- 1966年2 月8 日
中村運輸省、航空事故防止のための調査機関の常設と航空業界再編を発言
- 1966年2 月11 日
中村運輸相、松尾日本航空、岡崎全日空、菅野日本国内、下村東亜、中村長崎の5航空会社社長に対し、安全運航の強調と各社間の企業統合を要請
- 1966年2 月12 日
航空各社のパイロット、安全確保のため、空の交通ルール作成へ
- 1966年2 月14 日
全日空、知多半島上空で消息を絶った(1966.2.14)DC3貨物機の「失踪」宣言