1960
- 1964年12 月1 日
帯広空港開港、日本国内航空の札幌~帯広線乗入れ開始
- 1964年12 月5 日
日本航空、那覇~台北線を運航開始
- 1964年12 月9 日
全日空、F27フレンドシップ25機目を導入(同機保有数世界一に)
- 1964年12 月9 日
伊丹市、大阪国際空港騒音対策財源に離着陸機と乗客に対する航空税構想を発表
- 1964年12 月9 日
カナデア社CL-84V/STOL 輸送機原型1号機がロールアウト
- 1964年12 月10 日
航空宇宙技術研究所、V/STOL機用JR-100型軽量エンジンを公開
- 1964年12 月11 日
神奈川県、政府に対して厚木基地移転問題の検討を要望
- 1964年12 月11 日
日本国内航空、ノール262ターボプロップ機2機を発注
- 1964年12 月12 日
岡崎全日空社長、佐藤首相に日中航空機乗入れ問題などの促進を要望
- 1964年12 月15 日
イタリアの人工衛星第1号の大気密度観測衛星「サンマルコ1号」(254kg) を米国東海岸ワロップス島より米国スカウトロケットで打ち上げ成功
- 1964年12 月15 日
日本航空、トラベルローン(日本人旅行者の月賦制度) 開始
- 1964年12 月19 日
アラブ連合のミグ戦闘機、アレクサンドリア付近でエッソ石油会社の軽飛行機を撃墜
- 1964年12 月24 日
千葉県選出自民党国会議員団、新東京国際空港の県内誘致で意見一致
- 1964年12 月29 日
全日空、日本航空機製造のYS11を3機購入の本契約に調印 (航空会社初の発注)
- 1965年1 月7 日
日本国内航空チャーターのCV880-22M、東京国際空港に到着
- 1965年1 月17 日
航空自衛隊 自衛隊機事故に関して全国で特別監査を開始 (今後2ヶ月間)
- 1965年1 月20 日
日本航空、ジャルパックの発売開始
- 1965年1 月22 日
東大宇宙航空研究所、カッパ9M型ロケット3号機を内之浦より打上げ、飛行性能テス 上に成功
- 1965年1 月31 日
東大宇宙航空研究所、ラムダ(L)3型2号機を打上げ、高度1、040km、飛行時間18分30秒、電離層など10種目、25項目の観測に成功
- 1965年2 月1 日
日本航空、沖縄線を台北まで延長
- 1965年2 月1 日
全日空、中日本航空の定期路線部門を吸収
- 1965年2 月4 日
日本飛行連盟、日本航空機製造の2社に航空機使用事業免許(乗員訓練に限定)
- 1965年2 月6 日
東大宇宙航空研究所、カッパ9M型6号機、同7号機の打上に成功
- 1965年2 月7 日
米、北ベトナム爆撃開始
- 1965年2 月11 日
日本マレーシア航空協定調印(11.4 発効)
- 1965年2 月11 日
新東京国際空港関係閣僚懇談会、新空港富里案の白紙還元を決める
- 1965年2 月14 日
大阪発東京行全日空DC3型貨物機 (乗員2人)、知多半島通過後消息を絶ち行方不明
- 1965年2 月15 日
米リレー衛星を使った日米間の「精密時刻同期実験」実施(~2.20)
- 1965年2 月16 日
日本空港動力㈱設立
- 1965年2 月17 日
日本航空と全日空、両社の協調体制強化に関する基本覚書に調印
- 1965年2 月17 日
米NASA、「レンジャー8号」(360kg)を打ち上げ。2.20 月面衝突までに7、137枚のクローズアップ写真を合送信
- 1965年2 月19 日
三菱重工業のMU2Aに型式証明交付
- 1965年2 月25 日
全日空、八尾訓練所を開設
- 1965年2 月27 日
日本航空のCV880「楓号」壱岐空港で訓練中滑走路に接触、機体炎上
- 1965年3 月1 日
日本国内航空、東京~福岡、東京~札幌線を運航開始 (CV880 使用、幹線乗入れは、3社に)
- 1965年3 月6 日
米海軍シコルスキーSH3A対潜ヘリコプター、無給油で3、400kmを15時間50分で飛行
- 1965年3 月6 日
山陽特殊鋼. 会社更生法適用を申請
- 1965年3 月8 日
日本国内航空、日本航空機製造からのYS11チャーター契約に調印
- 1965年3 月11 日
三菱重工業MU2B1号機、テスト飛行に成功
- 1965年3 月17 日
三菱重工業、F104J第1次生産200機(DJ20機を含む)の完納式挙行
- 1965年3 月18 日
ソ連、2人乗り (レオノフ、ベルヤエフ) 宇宙船「ウォストーク2号」 (5.68トン)を打上げ、レオノフ中佐が20分間の世界初の宇宙遊泳(20分)に成功(26時間2分)
- 1965年3 月23 日
コロンビアのアビアンカ航空DC3が消息を絶つ、乗客乗員28人絶望
- 1965年3 月26 日
甲子園球場上空でセンバツ高校野球を取材中の毎日新聞社ヘリコプター、電車軌道上に墜落し1人死亡
- 1965年3 月26 日
航空技術審議会、V/STOL機研究の基本計画を決定
- 1965年3 月27 日
中野徳兵衛、原田くみ子同乗の三田式3型ソアラー、51.4kmの複座機距離記録を達成
- 1965年3 月30 日
航空機工業振興法改正
- 1965年3 月30 日
日本航空機製造、YS11を航空自衛隊へ2機、運輸省へ1機引き渡す
- 1965年4 月1 日
日本国内航空のYS11、東京~徳島~高知線に就航
- 1965年4 月1 日
ルフトハンザ航空とイベリア航空相互乗入れ開始
- 1965年4 月1 日
英国海外航空のVC10、ロンドン~ニューヨーク線に就航
- 1965年4 月1 日
気象庁、気象衛星観測画像の受画装置開発の研究着手
- 1965年4 月2 日
日本航空、東京~那覇~台北線を香港まで延長
- 1965年4 月3 日
米空軍、バンデンバーグ基地よりアトランティスDロケットで「スナップショト1号」(440kg)を打上げ、初のイオンエンジンと小型原子炉(スナップ10A)を搭載
- 1965年4 月5 日
新東京国際空港霞ケ浦埋立案に反対住民250人が集会
- 1965年4 月6 日
小牧市議会、小牧基地の撤去を求める決議採決
- 1965年4 月6 日
羽田付近を走行中の乗用車をジェット機噴流で吹き飛んだ石が直撃、フロントガラスを破砕
- 1965年4 月6 日
英航空省、BAC111-200に耐空証明交付
- 1965年4 月6 日
インテルサット、ケープカナベラルよりデルタ推力増強型ロケット(TAD)で初の「アーリーバード1号」(68kg)を打上げ。6.28より初の商用通信衛星サービスを行う
- 1965年4 月7 日
衆議院運輸委メンバー16名、空から霞ケ浦、富里、木更津、厚木などを視察
- 1965年4 月15 日
日英航空協定改訂交渉合意
- 1965年4 月20 日
セスナ社、1万機目のセスナ172を生産
- 1965年4 月21 日
アエロフロート、モスクワ~ロンドン線を開設
- 1965年4 月23 日
ソ連 バイコヌール基地より初の通信衛星「モルニヤ1型1号」(1.6トン)を打上げ、テレビ中継に成功
- 1965年5 月1 日
帯広空港開港
- 1965年5 月1 日
日本航空、北回りパリ線(コペンハーゲン経由)を運航開始
- 1965年5 月2 日
日本航空北回りロンドン線(ハンブルク経由)を運航開始
- 1965年5 月4 日
日本航空、南回りロンドン線(ニューデリー、パリ経由)を運航開始
- 1965年5 月5 日
イベリア航空スーパー・コンステレーション、テネリフェ島に墜落、乗客乗員31人死亡
- 1965年5 月10 日
運輸省設置法改正 (空港建設・補修など港湾建設局に移管)
- 1965年5 月13 日
衆議院、日米航空協定改訂交渉促進を決議
- 1965年5 月18 日
航空技術審議会、「航空技術振興のため垂直・短距離着陸機の開発を行なうべき」と答申
- 1965年5 月19 日
デハビランドDHC-6・ツインオッター初飛行
- 1965年5 月20 日
パキスタン国際航空のB720Bカイロ空港で着陸失敗、乗客乗員121人死亡
- 1965年5 月20 日
航空宇宙研究所、NAL-7型ロケット第1回飛翔テスト(秋田県道川、~5.23)
- 1965年5 月21 日
ジェフリー・デハビランド没、82歳
- 1965年6 月1 日
新東京国際空港公団法成立(7.7 施行)
- 1965年6 月1 日
仏ブレゲー社とノール社、250人乗りエアバス共同設計・研究に調印
- 1965年6 月2 日
サウジアラビアからYS11調査団が来日
- 1965年6 月2 日
航空法改正
- 1965年6 月3 日
米NASA、2人乗り宇宙船「ジェミニ4号」(3.57トン)を打上げ、E.ホワイト少佐が21分間の宇宙遊泳に成功、2人とも6.7に帰還( 4日1時間56分)
- 1965年6 月6 日
日本サッカーリーグ結成
- 1965年6 月10 日
英国欧州航空のトライデント(乗客88人)、ロンドン空港で世界初の自動操縦着陸に成 功
- 1965年6 月11 日
沖縄で物量投下演習中の米軍機が道路に誤投下、小学生1人死亡
- 1965年6 月14 日
ソ連、Tu144SSTの設計完成
- 1965年6 月15 日
宇宙開発推進本部、新島でS-B型ロケット4、5号機、HM-16型ロケット2機の計4機を打上げ(~6.18)
- 1965年6 月18 日
総合政策研究会、「航空の国際収支に関する提言」発表
- 1965年6 月18 日
行政管理庁、航空行政に関する監察結果をまとめ、基本施策の確立などを運輸省に勧告
- 1965年6 月20 日
東大宇宙航空研究所、1967年度打上げ予定の国産第1号科学衛星構想を発表
- 1965年6 月22 日
日韓基本条約調印
- 1965年6 月28 日
川崎航空機工業、P2V-7第2次生産最終機(6号機)を海上自衛隊に引渡す
- 1965年7 月1 日
中標津空港開港
- 1965年7 月1 日
富士精密㈱がカッパ8型ロケット5基をインドネシアに輸出。現地で技術指導をし、7.1インドネシアのロケット打ち上げ成功に導く
- 1965年7 月1 日
航空宇宙技術研究所、宮城県角田市の旧海軍施設の跡地に角田支所を発足(ロケットエンジン地上テスト用)
- 1965年7 月7 日
マクドネル社、F4戦闘機1、000機目を国防省へ引渡す
- 1965年7 月8 日
全日空のDC3、貨物路線からも引退
- 1965年7 月8 日
航空宇宙技術研究所、V/STOL機基礎実験用アイアンバード完成
- 1965年7 月16 日
松本空港開港
- 1965年7 月16 日
ソ連、これまでで最重量の「プロトン1号」衛星(12.2トン)を打上げ
- 1965年7 月17 日
海上自衛隊 下総基地所属 P2V-7対潜哨戒機が銚子沖海上に墜落、乗員11人全員死亡
- 1965年7 月23 日
日本航空導入のB727第1号機、東京国際空港に到着