1950
- 1955年4 月1 日
東京放送テレビ開局
- 1955年4 月1 日
日本航空協会、飛行館に航空図書館を開館
同協会、航空機工業再建と青少年のスポーツ奨励のため滑空機奨励補助金交付制度を設定 - 1955年4 月1 日
富士重工業(社長 北謙治、資本金8億3、000万円)、合併諸手続きを完了して本格的営業を開始
- 1955年4 月2 日
日印航空協定調印
- 1955年4 月5 日
国産ラム・ジェットヘリコプター、突風のため離陸実験に失敗し1人軽傷
- 1955年4 月11 日
インド航空コンステレーション機がボルネオ海に墜落、15人死亡
- 1955年4 月12 日
東大生産技術研究所AVSA研究班、国分寺市で戦後初めての国産小型ロケット「ペンシル」の公開水平発射に成功(胴径1.8cm、 全長23cm、 全重量202g、 十字型尾翼幅8cm)
- 1955年4 月18 日
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開く(~4.24)
- 1955年4 月27 日
東京~大阪間夜間郵便専用機、日ベリ航空1社の運航決まる
- 1955年5 月
東大生産技術研究所、水平発射場を千葉の(生技研) 本所内に移し、元船舶水槽跡で300等の実験開始
- 1955年5 月9 日
インド航空、ロンドン~香港線を東京まで延長
- 1955年5 月15 日
東京国際空港ターミナルビル完成(5.20 オープン)「空港まつり」に120機が参加
- 1955年5 月25 日
米軍シコルスキーH-19型ヘリコプターが仙台市沖合に墜落、6人死亡
- 1955年5 月31 日
ソ連、カザフスタン大草原に新しい「バイコヌール基地」の建設開始、第1期工事は1957年4月に完了
- 1955年6 月1 日
日本航空、 航空貨物混載制度設定
- 1955年6 月1 日
日本航空整備、米FAA認定修理工場に
- 1955年6 月4 日
カナダ太平洋航空、バンクーバー~北極~アムステルダム線運航開始(東京まで接続)
- 1955年6 月10 日
東京国際空港に地下タンク含むハイドラント給油施設が完成
- 1955年6 月12 日
日本青年飛行連盟TT-10練習機、藤沢飛行場離陸直後墜落、2人死亡
- 1955年6 月15 日
米極東空軍、F100スーパーセイバー戦闘機を横田基地に配備
- 1955年6 月17 日
小牧基地付近で米軍戦闘機が民家に墜落、2人死亡
- 1955年6 月17 日
ソ連の双発ジェット機Tu104が初飛行
- 1955年6 月20 日
伊藤忠商事、米ダグラス航空機会社の日本総代理店に
- 1955年6 月23 日
演習中の米軍F100戦闘機2機が横浜市上空で空中接触、うち1機が空中分解のため墜落
- 1955年6 月24 日
米海軍、ロッキードP2V哨戒機、ソ連戦闘機の攻撃を受けベーリング海に不時着
- 1955年6 月26 日
日本青年飛行連盟チャーターのバイパー機が伊豆山中に墜落、1人死亡
- 1955年6 月28 日
パンアメリカン航空DC7B、1939年以来同社5万回目の大西洋横断(旅客数 2、021、483人)
- 1955年6 月29 日
東大生産技術研究所、千葉市内で2段式ペンシルロケットの水平発射実験を行い秒速200mを達成
- 1955年6 月30 日
運輸省、日本ヘリコプター輸送の大阪~小松間不定期路線認可
- 1955年7 月1 日
日本航空協会、模型飛行機指導研究会の第1回目として工作指導研究会開催
- 1955年7 月1 日
ポルトガル空軍記念日行事参加機が編隊飛行中8機がシェラ・カルヴァロス山脈に激 突、8人死亡
- 1955年7 月8 日
八尾市内の阪神飛行場、正式に運輸省へ移管
- 1955年7 月8 日
海上自衛隊鹿屋航空隊PV-2ハーブーン哨戒機、訓練中5人死亡
- 1955年7 月9 日
毎日新聞社ヘリコプター、増槽タンク装備し大阪~東京間を無着陸飛行
- 1955年7 月11 日
総理府の付属研究機関として航空技術研究所開所
- 1955年7 月16 日
日本航空の南米不定期国際線認可
- 1955年7 月22 日
日本航空株式会社法改正
- 1955年7 月24 日
東京国際空港で返還3周年記念撮影会開催
- 1955年7 月25 日
日本航空、東京~サンフランシスコ間国際専用テレタイプ回線を開設
- 1955年7 月26 日
運輸省、海洋航空に不定期航空運送事業免許
- 1955年7 月26 日
ビッカース・バイカウント、米キャピタル航空の定期路線に就航 (英国製旅客機の米国 内線に初就航)
- 1955年7 月27 日
衆参両議員を中心とする「航空振興会」結成準備会開催
- 1955年7 月27 日
イスラエルのエル・アル航空旅客機、ギリシャ・ブルガリア国境付近でブルガリア軍の高射砲に撃墜される
- 1955年7 月28 日
日本航空と英デハビランド社、日航購入予定のコメット2の支払済み一時金返済問題 で諒解成立
- 1955年7 月29 日
自動車損害賠償保障法公布
- 1955年7 月31 日
米海軍、小型科学衛星打上げ用に改良型ジュピターCロケットを決定
- 1955年8 月5 日
川崎航空機工業、ロッキード社とT33ジェット練習機国産化契約に調印
- 1955年8 月5 日
政府、米軍5飛行場(小牧・立川・横田・木更津・新潟)拡張の必要を声明
- 1955年8 月6 日
東大生産技術研究所のペンシル300ロケット(250g)1、 2号機、 新設の秋田県道川海岸で対空発射実験(1号機は失敗。これを修理して2号機とし、2号機は16.8秒間飛行、高度600mに到達)
- 1955年8 月6 日
モスクワ東南ヴォロネジ市に旅客機が墜落、25人死亡
- 1955年8 月9 日
東大航空研究会、 東京軽飛行機研究所の強化プラスチック製グライダー「淡青2号」完成、藤沢飛行場でテスト飛行
- 1955年8 月11 日
西独駐留軍C-119輸送機2機がシュツットガル上空で空中衝突のため墜落、輸送中の米兵67人死亡
- 1955年8 月12 日
日本、 ガット加入条件に関する議定書調印(9.10発)
- 1955年8 月15 日
防衛庁、デハビランドDH-115バンパイアージェット戦闘機購入契約に調印
- 1955年8 月23 日
東大生産技術研究所、ベビーS型ロケット1、2号機の対空発射実験
- 1955年8 月29 日
薬剤散布中の大和航空DHCビーバー2が北海道紋別郡の山中に墜落、2人死亡
- 1955年9 月3 日
西ドイツマインで世界模型航空機競技選手権開催(日本選手は機体のみ参加)
- 1955年9 月4 日
米極東空軍、B57爆撃機を日本に配備
- 1955年9 月9 日
米海軍、国際地球観測年(IGY; 1957.7.1~1958.12.31)打上げ用バンガードロケットの実施責任を海軍研究所に決定
- 1955年9 月15 日
ビル・ローフォード没(1919年ロンドン~パリ線第1便でデハビランド機を操縦)
- 1955年9 月16 日
運輸省、極東航空の大阪~高松間不定期路線認可
- 1955年9 月17 日
東大生産技術研究所、初のテレメータ搭載の2段式ベビーT型1号機のロケット発射実験に成功 (高度約2、000mに到達)
- 1955年9 月19 日
米軍ジェット機が八王子市に墜落、農家5戸を全焼し住民含む5人死亡
- 1955年9 月20 日
関西宇宙線研究グループによる観測気球、高度約30、000mに到達
- 1955年9 月22 日
ヘーグ議定書調印(1967.11.8 日本で発効)
- 1955年9 月28 日
日本ヘリコプター輸送、第1期スチュワーデス募集(6人の募集に1、000人応募)
- 1955年9 月30 日
運輸省、 日本ヘリコプター輸送の名古屋~小松間不定期路線認可
- 1955年10 月1 日
運輸省、日本航空の東京~那覇~香港線に東京~香港直行便を加える事業計画変更申請認可
- 1955年10 月3 日
運輸省航空局、主翼リベットにゆるみを生じた極東航空のハンドレページ・マラソンに対して一時耐空証明効力停止を措置(10.29 解禁)
- 1955年10 月6 日
ユナイテッド航空DC4、ワイオミング州メディシン・ボウ山に墜落、65人全員死亡
- 1955年10 月7 日
日本航空、DC4型機長・副操縦士の日本人化を完了
- 1955年10 月7 日
デハビランド・コメット2によるロンドン~アテネ・カルツーム間のテスト飛行終了
- 1955年10 月9 日
米軍B-26爆撃機が都日野町の民家に墜落、2人死亡
- 1955年10 月11 日
八丈島で強風のため映画撮影用チャーターのセスナ機3機が大破
- 1955年10 月13 日
宇宙線研究グループの観測気球、茨城県鹿島町上空の高度35、000mから時限装置落下し実験に成功
- 1955年10 月13 日
パンアメリカン航空、B707を20機、DC-8を25機発注
- 1955年10 月13 日
社会党統一
- 1955年10 月15 日
日本ヘリコプター輸送、東京~大島線を運航開始
- 1955年10 月16 日
B707、シアトル~ワシントン間往路3時間58分、復路4時間8分で飛行
- 1955年10 月26 日
東大生産技術研究所、ベビーR型ロケット1号機打ち上げ、胴体切離しと落下傘作動に成功。11.4 2、3号機打ち上げ
- 1955年10 月29 日
運航停止中の極東航空ハンドレベージ・マラソン、安全性が確認され再就航
- 1955年11 月1 日
日本航空、東京~香港線直行便を運航開始
- 1955年11 月1 日
米コロラド州デンバー空港を離陸したユナイテッド航空DC6B、乗客の時限爆弾により空中爆発、乗客乗員4人全員死亡
- 1955年11 月4 日
テスト飛行中のコメット3、ロンドン~シドニー間を24時間24分で飛行
- 1955年11 月9 日
商社航空懇話会(航空機・航空機器輸入商社で結成)発足
- 1955年11 月10 日
日本ジェットエンジン国産ジェット・エンジンJO-1完成し一般公開
- 1955年11 月10 日
日本航空医学心理学会発足
- 1955年11 月10 日
日本航空整備、初の機体オーバーホール・ドック完成
- 1955年11 月14 日
日米原子力協定調印
- 1955年11 月15 日
日本ヘリコプター輸送のDC3、東京~名古屋~大阪線に就航
- 1955年11 月15 日
保守合同、自由民主党発足
- 1955年11 月17 日
ICAO太平洋地区会議、太平洋地域に25の救助地区、23の救助調整センター設置案を承認
- 1955年11 月18 日
日本航空の福岡~那覇間国際定期路線免許
- 1955年11 月18 日
米ワシントン州ボーイング空港を離陸した不定期DC4型機、民家に墜落し27人死亡
- 1955年11 月26 日
日印航空協定調印(1956.5.11 発効)
- 1955年11 月29 日
日豪航空協定調印
- 1955年11 月30 日
日本航空整備人事、 松尾静磨社長就任
- 1955年12 月1 日
航空自衛隊浜松基地に初のジェット戦闘機部隊 「航空団司令部」 編成 (初代司令源田実空将補)
- 1955年12 月6 日
米国バイアセッキ・ヘリコプター、世界最大のジェット・ヘリYH-16Aを一般公開
- 1955年12 月15 日
日本航空、 DC8を4機発注