1980
- 1981年4 月17 日
日本航空法改正案、参議院で可決・成立
- 1981年4 月17 日
ボーイング社、全日空に対して同社向けB747の引き渡し延期と「物価スライド制適用せず」と通告
- 1981年4 月20 日
宇宙産業基本問題懇談会が宇宙産業ビジョンを発表、1990年代半ばには「1兆円産業に成長する」として、そのために (1)自主技術の確立 (2)需要の拡大 (3)制度面に対する方策などを提言
- 1981年4 月21 日
来日中の米ボーイング社首脳、新設計の7X7(150人乗り)でYXX計画参加に名乗り
- 1981年4 月23 日
成田空港にターミナル管制情報処理システム「ARTS-J」が完成
- 1981年4 月24 日
日中航空交渉、座席数の40%増や日本航空のカラコルム越えルートなどで合意
- 1981年4 月25 日
第37回ゴードン・ベネット気球レース始まる(6ヵ国、12チームが参加)
- 1981年4 月27 日
ゴードン・ベネット気球レース参加のベニハナ1号(ロッキー青木氏ら搭乗)、1、346マイルの世界最長飛行記録を樹立
- 1981年4 月27 日
塩川運輸大臣、関西国際空港計画にともなう(1)空港本体計画案(2)環境影響評価案(3)地域整備の考え方のいわゆる「3点セット」についての要約を地元府県に提示
- 1981年4 月27 日
ニュージーランド航空 DC10 南極墜落事故原因を調査中の政府特別調査委員会、事故の最大原因は会社側によるフライトプランの変更にあることを発表
- 1981年4 月28 日
東亜国内航空の田中社長、 記者会見でA300キャンセル問題について回避の意向を示す
- 1981年5 月2 日
第10回日本スポーツ・パラシュート選手権大会開催、中国から4人の招待選手団も参加(~5.5 タテバヤシ・エアロ)
- 1981年5 月11 日
国鉄鹿島線鹿島神宮駅近くの橋ゲタが焼き切られる事故発生、成田空港への燃料列車がストップ
- 1981年5 月12 日
パンアメリカン航空など米大手航空企業5社、米国政府に航空自由化政策の見直しを要請
- 1981年5 月14 日
通産省、YX(B767)の量産販売体制移行に対応するため、57年秋までにメーカー3社 (三菱重工、川崎重工、富士重工)を中核とする新会社の設立を決める
- 1981年5 月19 日
東亜国内航空、赤字路線対策として第三セクター方式を地元に対して提案することを検討中と発表
- 1981年5 月21 日
宇宙科学研究所三陸大気球観測所(岩手県三陸町)、セントヘレンズ噴火と異常気象 の関係を解明するための観測用大気球を打上げ
- 1981年5 月22 日
運輸省、太平洋線国際航空運賃の日本発2%引下げ、米国発7%引上げを認可
- 1981年5 月24 日
エクアドルでハイメ・ロイドロス大統領専用機が空中爆発、大統領夫妻ら9人全員死亡(2.25 コロンビアのゲリラが犯行声明)
- 1981年5 月26 日
茨城県稲敷郡河内村の日本飛行連盟大利根飛行場でラジコン操縦の飛行船が飛行(長さ11m、重量47kg)
- 1981年6 月1 日
東亜国内航空、羽田~札幌線にA300就航
- 1981年6 月3 日
東亜国内航空の田中社長が、秋からの値上げ意向と長崎~大分、奄美大島 〜与論線の廃止について交渉中であることを発表
- 1981年6 月6 日
日本航空、福岡~成田~ホノルル線の運航開始
- 1981年6 月7 日
イスラエル空軍機、イラクの原子炉を爆撃
- 1981年6 月14 日
太陽エネルギー機「ソーラーチャレンジャー」号が英仏海峡横断飛行に挑戦し失敗
- 1981年6 月15 日
ユナイテッド航空、日本政府が同社太平洋線を認めないため日本航空のニューヨーク 線の許可差し止めを米CABに提訴
- 1981年6 月19 日
欧州宇宙機関(ESA)、アリアン1型ロケットで欧州気象衛星 「メテオサット2」ほか2衛星をギアナ宇宙センターから打ち上げ
- 1981年6 月21 日
仏民間航空総局(DGAC)、ダッソーブレゲー社ファルコン20Gとミステール・ファルコン200に型式証明交付
- 1981年6 月23 日
米アラスカ州マッキンリー山で遊覧飛行のセスナ207が墜落、邦人乗客ら4人死亡
- 1981年6 月23 日
米国海洋気象庁(NOAA)、アトラスFロケットでバンデンバーグ基地から「ノーア7号」(1.4トン)高度約850kmの極軌道に打ち上げ
- 1981年6 月25 日
運輸省と新東京国際空港公団、成田周辺で航空機からの氷塊落下が相次いだため到着機の機体検査を実施
- 1981年6 月25 日
東京都、羽田空港沖合展開計画について運輸省修正案を了承する旨の回答書と要望事項を運輸大臣に提出
- 1981年6 月26 日
新秋田空港開港、全日空がB727で羽田~秋田線を運航開始
- 1981年6 月30 日
日本航空人事、高木義根社長就任
- 1981年7 月1 日
シンガポール・チャンギ空港が開港
- 1981年7 月5 日
ユナイテッド航空のニューアーク発ホノルル行きB747(乗客乗員325人)、高度12、000mの太平洋上で4基のエンジンが停止したため4、000mを急降下
- 1981年7 月7 日
太陽エネルギー機「ソーラーチャレンジャー」(S.ブタセック操縦)が英仏海峡横断飛行に挑戦、仏コルセイユアンペクサン~英マンストン間288kmを5時間23分で飛行に成功
- 1981年7 月8 日
航空安全推進連絡会議、空の保安体制について調査結果をまとめ航空安全行政は後退していると分析、鈴木首相に(1)雫石事故の教訓を生かして民間機優先の原則を守る(2)米軍訓練空域の縮小、などの要望書の提出を決める
- 1981年7 月8 日
米国家運輸安全委員会(NTSB)の調査担当者、太平洋上でエンジンを停止したユナイテッド航空(1981.7.5)B747エンジンは2基のみ停止したとする見解を発表
- 1981年7 月8 日
中国政府、日本航空のチャーターを除く中国向け臨時便は認可しないことを通告
- 1981年7 月9 日
運輸省、定期航空3社に対して (1)団体季節割引 (2)早朝割引 (3)家族割引 (4)通し運賃制度の導入など、国内航空運賃の弾力化について検討するよう指示
- 1981年7 月13 日
東京地裁八王子支部民事1部で横田基地公害訴訟判決、 住民請求のうち過去の損害 賠償のみを認め夜間飛行差止めは却下(7.21 原告側が控訴)
- 1981年7 月15 日
宇宙科学研究所、スペースシャトルに積み込む人工オーロラ実験装置(SEPAC)を公開(STS-9;初のスペースラブ用)
- 1981年7 月25 日
全日空、旅客2億人を達成
- 1981年7 月28 日
那覇市、米軍基地内の市有地強制使用は憲法違反であるとして那覇防衛施設局に反対意見書提出
- 1981年7 月29 日
全運輸労組が全国の航空管制官を対象としたニアミス調査を実施、 この1年間に34%の管制官がニアミスを経験
- 1981年7 月31 日
空のフェスティバル'81開催(~8.2 本田航空桶川飛行場)
- 1981年8 月1 日
日本航空、国際線航空事故犠牲者に対する賠償限度額を10万SDR(約2、660万円)に引上げ
- 1981年8 月2 日
宇宙開発事業団、小型TT-500Aロケット10号機を打上げ成功、海上落下の頭胴部回収に失敗
- 1981年8 月3 日
米国航空管制官組織(PATCO)が待遇改善を要求してストライキ実施、米国の空の足はマヒ状態に陥る
- 1981年8 月4 日
B767がロールアウト
- 1981年8 月5 日
米テキサス州で民間企業スペースサービスインコーポレーション(SSI)が小型人工衛星打ち上げ実験、爆発のため失敗
- 1981年8 月11 日
ルイス米運輸長官が民間航空会社代表50人と会談、(1)管制官ストに対して政府側が強行策を提示 (2)今後1ヵ月間に運輸便数を25%減便、などで合意
- 1981年8 月11 日
宇宙開発事業団、種子島宇宙センターから静止気象衛星「ひまわり2号」を積んだ3段式N-Ⅱロケット2号機の打ち上げに成功。12.11「ひまわり2号」静止位置(東経140°)に投入成功、打ち上げに際して早朝警戒飛行中の西日本空輸SA360ドーファンヘリコプターが海上に墜落、全乗員6人死亡
- 1981年8 月11 日
カナダ政府、ニューファウンドランド島のガンダー航空管制センターの無制限閉鎖を発表
- 1981年8 月17 日
航空機・機械工業審議会航空機工業部会政策分科会、今後の航空機開発体制について(1)YXの1982年度以降の量産体制は営利法人主体 (2)YXX開発は公益法人主体に実施 (3)日本航空機製造の民間移管などを部会に報告、了承される
- 1981年8 月18 日
パンアメリカン航空で経営危機が深刻化、(1)銀行からの緊急融資 (2)ホテル部門の売却 (3)新機種引き取り延期・中止など決定
- 1981年8 月18 日
広島大学のバルーンクラブ「有頂天」メンバー2人、手づくり気球で愛媛県波方町から広島県福山市まで瀬戸内海横断に成功
- 1981年8 月20 日
宇宙開発事業団、「ひまわり2号」を暫定静止軌道に投入
- 1981年8 月22 日
台湾遠東航空のB737が台北南方に墜落、邦人18人を含む乗客乗員110人全員が死亡
- 1981年8 月25 日
羽田空港が開港50周年
- 1981年8 月25 日
NASA、ボイジャー2号、土星に最接近(10万1、000km)。9.4 土星システムの観測を終え天王星に向かう(その後 1986.1.24 天王星に最接近、1989.8.25 海王星に接近した上、太陽系に脱出中)
- 1981年8 月26 日
三菱重工、ノックダウン方式によるF15J戦闘機を初飛行
- 1981年8 月30 日
ボーイング社、4、000 機目のジェット旅客機としてB727-200をアンセット航空に引き渡し
- 1981年9 月4 日
米FAA、管制官ストで人手不足の航空管制業務にレイオフ中の民間航空パイロットのうち1、500人を補助要員にあてると発表
- 1981年9 月7 日
パンアメリカン航空、国内線運賃を50~70%引き下げると発表(9.9~9.14)
- 1981年9 月8 日
「ひまわり2号」が初の地球雲の画像を送信
- 1981年9 月26 日
B767が初飛行
- 1981年10 月1 日
11981年第3回ハンググライディング世界選手権、18ヵ国から116人が参加して別府市鶴見岳一帯で開幕
- 1981年10 月7 日
米シカゴ巡回裁判所、予約便が予約オーバーのため搭乗できなくなった乗客夫妻の損害賠償請求に対してデルタ航空に208、000ドルを支払うよう判決
- 1981年10 月8 日
帯広市議会、新帯広空港周辺酪農家に航空機騒音による 「乳牛被害」に総額3、471万円余の見舞金の支払いを決める
- 1981年10 月8 日
遠東航空公司、同社B737事故遺族に対して152万元(914万円)を支払うことで遺族代表と合意
- 1981年10 月8 日
仏政府とダッソー社は、ダッソー社の株式50%以上を売却し国有化する協定書に調印
- 1981年10 月9 日
航空政策懇談会、日本航空の成田~地方空港経由国際線の空席活用は認めず、海外旅行客の途中降機・乗り継ぎ利用のみを認める見解をまとめる
- 1981年10 月10 日
キャセイパシフィック航空の英国人機長B.J.ウイルソン、モーターグライダーによる日本縦断飛行と世界記録をめざして鹿児島空港を飛立つ(10.15 青森空港到着)
- 1981年10 月11 日
カリフォルニア州ロサンゼルス郊外を飛びたったヘリウム気球「スーパーチキンⅢ号」、ジョージア州沖合のブラックベアート島まで4、047kmを55時間25分で飛行し、米大陸横断に成功
- 1981年10 月15 日
東京都港湾審議会、羽田空港の移転用地として羽田沖廃棄物処理場 (約470ha)の外側約340haを廃棄物で埋めたてるよう知事に答申
- 1981年10 月16 日
最高裁第2小法廷、外国企業の航空機がその国で事故を起こした場合、 日本人遺族の損害賠償請求訴訟の裁判権は「外国企業の営業所が日本国内にあれば裁判権がある」とする判断を示す
- 1981年10 月19 日
財団法人日本航空機エンジン協会、設立
- 1981年10 月20 日
京都大学飛翔会の熱気球「ゾゾ号」、佐渡島から福島県郡山市まで188kmを飛び日本記録樹立
- 1981年10 月25 日
日本航空㈱創業30周年
- 1981年10 月26 日
第74回国際航空連盟(FAI) 総会、東京で開催(~10.30)
- 1981年10 月26 日
富士重工、陸上自衛隊 TL-1初等練習機第1号機を引き渡し
- 1981年10 月26 日
米CAB、米国内を運航する航空機に乗客1人あたり最低30万ドルの事故賠償責任保険をかけるよう指示
- 1981年10 月26 日
防衛庁調達実施本部、川崎重工と新中等練習機 (MX-T)の基本設計契約締結
- 1981年10 月28 日
米航空管制官スト中止を発表
- 1981年11 月4 日
平壌放送、ICAOとの間で北朝鮮上空通過の成田~北京線航空路の開設に合意したことを伝える
- 1981年11 月5 日
東京地裁刑事25部、ロッキード事件で議員証言法違反に問われた小佐野賢治裁告に懲役1年の実刑判決
- 1981年11 月5 日
マクドネル・ダグラス AV-8Bハリアー2が初飛行
- 1981年11 月6 日
米FAA、三菱重工のMU-300に型式証明交付
- 1981年11 月10 日
成田空港でターミナル管制情報処理システム「ARTS-J」運用開始(羽田、大阪に次いで国内3番目)
- 1981年11 月10 日
ヘリウムガス気球ダブルイーグルⅤ、三重県長島町から米大陸めざして離陸(8、382km飛行後、11.13 サンフランシスコ北西の山中に着陸)
- 1981年11 月11 日
韓国政府、日中間航空路の韓国上空通過に同意
- 1981年11 月12 日
スペースシャトル「コロンビア」(エングル機長、トルーリー飛行士)、2回目の宇宙の旅に出発。11.14 帰還(STS-2、2日6時間13分)
- 1981年11 月21 日
81バルーンフェスタ・イン佐賀開催、19機の熱気球が参加 (~11.23)
- 1981年11 月24 日
大蔵省、政府保有の日本航空株253万株の売却方針を国有財産中央審議会に報告
- 1981年11 月27 日
運輸省が第4次空港整備5箇年計画の概要を発表、うち空港整備費は成田2期に3、200 億円、羽田拡張と関西国際空港に計3、000億円、地方空港整備に3、100億円
- 1981年12 月1 日
ユーゴスラビアのイネックスアドリア航空のDC9、コルシカ島サンピエトロ山の山頂に衝突。乗客乗員178人全員死亡
- 1981年12 月7 日
ベネズエラのカラカス空港、プエルトオルダス空港を離陸したアベンサ航空とアエロポ スタル航空のDC9型2機、B727機1機がベネズエラのゲリラグループに乗っ取られる
- 1981年12 月7 日
リビア航空のB727、パリからトリポリに向かう途中イタリア上空で乗っ取られる、ローマ郊外チャンピーノ軍用飛行場、ベイルート空港、テヘラン・メヘラ空港などを転々