1980
- 1980年9 月9 日
イラン・イラク戦争勃発
- 1980年9 月11 日
英国航空、10月1日からロンドン~ニューヨーク線片道77ポンド(空席待ち料金)の低運導入を発表
- 1980年9 月12 日
米CAB、リパブリック航空によるヒューズ・エアウェスト社買収を認可
- 1980年9 月14 日
英レーカー航空、ロンドン~ニューヨーク線にスタンダード28ポンド、エコノミー92ポンドの低運賃導入を発表
- 1980年9 月14 日
宇宙開発事業団、種子島宇宙センターから初の宇宙材料実験用ロケットT-500Aを打 ち上げ、海上で頭部のパシュート回収に成功
- 1980年9 月18 日
ソ連人と初のキューバの宇宙飛行士アルナルド・タマヨ・メンデス中佐、ソユーズ38号で打ち上げられ、約7分間の無重力材料実験後、9.26 帰還(7日20時間43分)
- 1980年9 月21 日
第31回国際宇宙航行連盟(IAF)大会がアジアで初めて開催(東京高輪プリンスホテル;27日迄)
- 1980年9 月22 日
運輸省東京航空局、新中央航空申請の新潟~佐渡間2地点間輸送を承認(10.1 運航開始)
- 1980年9 月25 日
米政府、日本政府にユナイテッド航空を北太平洋路線運航企業として指定通告
- 1980年9 月28 日
日本航空の羽田発大阪行きB747(乗客乗員234人)と全日空の松山発羽田行きB727(乗客乗員124人)が伊勢湾上空で高度差60mのニアミス
- 1980年9 月29 日
全日空と東亜国内航空、YS11部品の相互貸借で合意 (10.1 から14空港で実施)
- 1980年9 月30 日
日本近距離航空、新潟~佐渡線を廃止
- 1980年10 月2 日
鹿児島空港、3、000m滑走路を供用開始
- 1980年10 月3 日
長谷川成田市長、「成田空港公害対策連絡協議会」 との対話集会で成田への燃料貨物輸送延長「不本意だが認める」と発言
- 1980年10 月4 日
ソ連のガガーリン宇宙飛行士訓練センター、2人のフランス人宇宙飛行士が同センター内で訓練を開始
- 1980年10 月10 日
倉敷市の中田喬二、動力付きハンググライダー(12馬力)で倉敷一坂出間の瀬戸内海縦断に成功
- 1980年10 月11 日
ソ連のレオニード・ポポフとワレリー・リューミンの両宇宙飛行士、宇宙滞在記録(184日20時間12分)を樹立してソユーズ37号で地上へ帰還
- 1980年10 月14 日
塩川運輸大臣、衆議院予算委員会で関西国際空港は 「必要最小限の施設で開港したい」と表明
- 1980年10 月15 日
航空事故調査委員会、東亜国内航空YS11の片脚着陸事故(1979.7.21 羽田空港)の原因は主脚組み立てミスとする事故調査報告書を発表
- 1980年10 月18 日
政府、ユナイテッド航空の日本乗り入れに拒否通告の方針を決定
- 1980年10 月21 日
東亜国内航空の大阪発花巻行きYS11(乗客乗員59人)が花巻空港で滑走路をオーバーラン
- 1980年10 月28 日
NASA、無人惑星探査機ボイジャー1号が、土星に新しい2個の衛星を発見したと発表
- 1980年11 月1 日
英国航空、コンコルドによるアジア線(ロンドン~バーレン~シンガポール)を運航停止
- 1980年11 月1 日
東亜国内航空、羽田~出雲線をジェット化(DC9使用)
- 1980年11 月1 日
南西航空、那覇~与論~沖永良部、那覇~下地島線を運航開始
- 1980年11 月1 日
日本航空、名古屋、福岡、沖縄からシンガポールへの直行便を運航開始
- 1980年11 月4 日
運輸省、関西国際空港建設計画について、57年度着工、面積は600ha、主滑走路1本、年間発着13万回とする「縮小案」を発表、これにともない第4次空港整備5箇年計画の事業規模は2兆6、800億円に削減
- 1980年11 月9 日
英国ダン・エアーのD.Hコメット4C、ロンドンで引退フライト
- 1980年11 月13 日
惑星探査機ボイジャー1号(米)、日本時間午前8時45分土星に最接近(12万4、200km)
- 1980年11 月14 日
塩川運輸大臣、政府保有日本航空株の売却に反対方針を表明
- 1980年11 月15 日
世界初の商業用静止通信衛星「SBS-1号」(1、120kg)、ケープカナベラル基地からデルタロケットで打ち上げ
- 1980年11 月18 日
日本航空の福岡発羽田行きB747(乗員12人、乗客275人)と芦屋基地を離陸した航空自衛隊T1練習機、三国ポイント上空でニアミス
- 1980年11 月19 日
大韓航空のB747(乗客乗員220人)、韓国金浦空港への着陸に失敗。邦人含む15人死亡
- 1980年11 月23 日
80バルーンフェスタ・イン九州、佐賀県嘉瀬川河畔で開催
- 1980年11 月26 日
パンアメリカン航空、運輸省にニューヨーク~成田~北京など3路線を申請
- 1980年11 月29 日
旧日本海軍艦上爆撃機「彗星」の機体を陸上自衛隊木更津駐屯地で復元
- 1980年11 月29 日
東亜国内航空が導入のA300第1号機、羽田に到着
- 1980年11 月29 日
山田航空幕僚長、 全国の航空団指令を緊急招集しニアミス防止通達の厳守を指示
- 1980年12 月
1980年の日本の自動車生産台数、米国を抜き世界第1位に
- 1980年12 月2 日
米カリフォルニア州公益事業委員会は、パシフィコ・クリエーティブ・サービス社のJALバックについて、オプションのライセンスなしにオプショナルツアーを行うことは違法と裁定
- 1980年12 月5 日
米アリゾナ州ツーソンで太陽電池利用の飛行機ソーラー・チャレンジャー、高度1、036m、滞空1時間32分のテスト飛行に成功
- 1980年12 月6 日
運輸省東京航空局、調布飛行場の飛行制限実施要項を事業者、自家用所有者などに通知
- 1980年12 月6 日
米日欧6ヶ国の「インテルサット502」静止衛星、ケープカナベラル基地からアトラスセントールロケットで打ち上げ。重量は史上最大1.93トン
- 1980年12 月11 日
運輸省、政府保有日本航空株の一部売却に応じる方針を決定
- 1980年12 月13 日
坂井兵庫県知事、 県議会で新空港開港後も大阪国際空港を国内線専用空港として存続させる意向を表明
- 1980年12 月17 日
渡辺大蔵、塩川運輸両大臣、政府保有日本航空株5%の売却を決定
- 1980年12 月25 日
日本アジア航空、成田~台北、大阪 ~台北線にDC10就航
- 1980年12 月29 日
政府、特殊法人日本航空機製造の解散と民営移管を閣議決定
- 1981年1 月9 日
運輸省、近距離国際チャーター便の運航について「B727が給油なしで飛行できる範囲」とする制限を撤廃
- 1981年1 月12 日
運輸省と大蔵省、政府保有日本航空株の売却について、最低3分の1持ち株比率を維持する、などの条件で合意
- 1981年1 月13 日
大蔵省、日本航空などが海外で円建て債の発行を可能とするための政府保証を行う方針を決める
- 1981年1 月15 日
宇宙開発事業団、種子島宇宙センターから宇宙材料実験用小型ロケットTT-500A型9号機を打ち上げ。1.17 頭胴部のビーコン電波故障のため、その回収に失敗
- 1981年1 月16 日
運輸省、日本航空B747と全日空B727のニアミス(1980.9.28 愛知県知多半島上空)原因は管制ミスと判定
- 1981年1 月20 日
レーガン、米国大統領に就任
- 1981年1 月21 日
コンコルド、定期路線就航5周年を迎える、この間の英国航空の乗客数は約35万人、エール・フランスの乗客数は約33万人
- 1981年1 月22 日
運輸省、日本航空法の(1)社債発行限度の引き下げ、(2)政府保有株式の後配制の廃止、(3)取締役人数法定制の廃止、などを骨子とする改正案の国会提出を決める
- 1981年1 月27 日
運輸省、パンアメリカン航空のニューヨーク~成田~北京線などを認可
- 1981年1 月29 日
米・中、航空路開設のアメリカ側1番便として、パンアメリカン航空のB747SP、北京空港に到着
- 1981年1 月29 日
東大宇宙航空研究所、S-520型ロケット2号機打ち上げ、上空でワイヤでつないだ子ロケットを押し出し、本体ロケットととも飛行させた
- 1981年1 月30 日
米の航空専門誌「エア・トランスポート・ワールド」は、1980年の世界最優秀航空会社「エアライン・オブ・ザ・イヤー」に日本航空を選出
- 1981年2 月1 日
ノースウエスト航空のDC10、ワシントン・ダレス空港を離陸直後エンジン1基が離脱
- 1981年2 月3 日
米ユナイテッド航空、運輸省に対して日本乗り入れの事業申請書を提出
- 1981年2 月8 日
ブルーインパルス(F-86F)、埼玉県入間基地でサヨナラ・デモフライト
- 1981年2 月9 日
運輸省、国内線航空券の「50%割引券」が出回っている問題で日本航空と全日空に航空法の運賃認可制違反として警告
- 1981年2 月11 日
宇宙開発事業団、種子島宇宙センターからN-Ⅱロケット1号機により技術試験衛星ETS-Ⅳ(きく3号)の打ち上げ、静止トランスファ軌道投入に成功
- 1981年2 月12 日
米国人マキシー・アンダーソンとドナルド・アイダの両名、ガス気球「ジュール・ベルヌ」 による世界一周旅行をめざしてエジプトのルクソールを出発
- 1981年2 月16 日
通信衛星「さくら」を利用したわが国初の新聞紙面宇宙電送実験(読売、日経両社間)に成功(~2.27)
- 1981年2 月19 日
運輸省と防衛庁、千歳空港の国際空港化で合意
- 1981年2 月20 日
アルゼンチン航空の旅客機、ニューヨークの世界貿易センタービルに「ニアミス」
- 1981年2 月20 日
NASA、スペースシャトル「コロンビア号」を発射台に垂直に取りつけたまま、初のメイン エンジン(3基)の燃焼テスト (20秒間)に成功
- 1981年2 月21 日
東大宇宙航空研究所、鹿児島宇宙空間観測所からM-3S型ロケット2号機により第7号 科学衛星アストロA「ひのとり」(185kg)の打ち上げに成功
- 1981年2 月22 日
米ノースカロライナ州で小型機を操縦中のパイロットが死亡、 同乗の夫人が救出機の無線による誘導を受けて無事着陸
- 1981年2 月23 日
静岡県の太平英二、補助エンジン搭載のハンググライダーで津軽海峡縦断に成功
- 1981年2 月24 日
国鉄高木総裁、 記者会見で「成田新幹線を在来線化し国鉄成田線と直結する方針」で 塩川運輸大臣に申請する意向を表明
- 1981年2 月27 日
パリ近郊のフルリメロジス刑務所に脱獄を目的にヘリコプターが強行着陸、拘留中の服役者2人を連れ去る
- 1981年3 月1 日
東亜国内航空のエアバスA300、羽田~鹿児島線などに就航
- 1981年3 月1 日
航空自衛隊のF15J戦闘機(1、2号機)、米軍嘉手納基地に到着
- 1981年3 月1 日
新帯広空港開港、東亜国内航空の羽田~帯広線、DC9による運航開始
- 1981年3 月6 日
EC委員会、東亜国内航空のエアバスA300解約問題で日本政府に正式抗議
- 1981年3 月7 日
全日本学生グライダー競技会、8年ぶりに復活(妻沼滑空場)
- 1981年3 月12 日
ソ連、ソユーズT-4号(コワリョーノフ、サビヌイフ)を打ち上げ、サビヌイフは通算100人目の宇宙飛行士となる
- 1981年3 月12 日
日本貨物航空の菊地会長と堀社長は、記者会見で「昭和58年に照準を合わせて運航 のための準備をすすめたい」と語る
- 1981年3 月12 日
日本航空、運輸省に太平洋線団体包括旅行運賃、成田~ニューヨーク線普通運賃の 値下げを申請
- 1981年3 月17 日
国鉄成田線滑川一下総神崎間で成田へのジェット燃料輸送列車が襲われ、放火のため機関車2両の運転席を焼く
- 1981年3 月18 日
東京モノレール羽田~浜松町線、開業以来の乗客3億人を達成
- 1981年3 月20 日
日本近距離航空、札幌(丘珠)~稚内線を運航開始
- 1981年3 月23 日
日本航空、日米間航空運賃為替変動による方向別格差是正を決める
- 1981年3 月23 日
日本航空の朝田社長、記者会見で政府株配当のためには「年間140億円の経常収益 が必要」として採算性重視に徹することを表明
- 1981年3 月27 日
東亜国内航空の田中社長、記者会見で長崎~大分線など15路線の休廃止について地元との折衝を始めることを表明
- 1981年4 月1 日
東亜国内航空、羽田~三沢線にA300就航
- 1981年4 月1 日
日本航空に初の女性チーフパーサー6人誕生
- 1981年4 月1 日
パンアメリカン航空、ニューヨーク~パリ線を6年ぶりに再開
- 1981年4 月2 日
運輸省、羽田空港の第4次発着枠緩和を実施、羽田と地方空港を結ぶ17路線で週68便増便
- 1981年4 月3 日
パンアメリカン航空の創設者で元同社会長のホアン・トリップ没、81歳
- 1981年4 月8 日
運輸省、羽田空港の沖合展開について、B滑走路を300m沖合いに出すのをはじめと する滑走路を海寄りに移す修正案を東京都、品川・大田両区に提示
- 1981年4 月10 日
日本航空、国内線旅客1億人を達成
- 1981年4 月12 日
NASA、スペースシャトル「コロンビア号」(ヤング船長、クリッペン飛行士搭乗)、ケネディ宇宙センターから打上げに成功、世界初の有人宇宙往還機の初飛行。4.14 カリフォルニア州エドワーズ空軍基地に帰還(STS-1;2日6時間21分;36周)
- 1981年4 月13 日
日本航空 アメリカン航空との間に旅客予約システムの相互利用で業務提携
- 1981年4 月14 日
英下院産業貿易委員会、コンコルドを早く「見限る」よう報告書発表
- 1981年4 月14 日
宇宙科学研究所設立(東大宇宙航空研究所を改組)、同じくISASの英略字を使用